そがさんのにっき
会いに行くから。
友人が法を犯して拘留された。新聞やテレビでも報道され、その範囲で、彼の行為を知った。
「警察署に行ってやろうかな」「会えないかもしれないけどな」「来てくれたと分かれば、少しは落ち着くかな」、なんて話を職場でしていたら、「曽我さんは、彼の何を守ってあげたいのですか?」と聞いてきた人がいた。
そうか、僕が面会や差し入れに行くことが彼を守ってやるということに写るだろうなと知った。
もちろん不条理な被害にあった方には彼も僕も謝るしかない、そんなことはあたりまえだと思っている、今の法律によりふさわしい被害弁償や刑事罰も受けなければならないことは当然だと思っている。
でも僕は彼に会いに行きたい。
彼は今、このような法に触れる、他人に迷惑をかけるような行為を行う可能性が少なくない環境に置かれている。だから仕方ないなどとも思はない。でもそれにももちろん理由がある。本人の責任だけではない、家族や家庭環境だけの問題でもない、さまざまな問題が絡み合って今たどり着いている彼の地点なのである。
だから法を犯し、他人に迷惑をかけたことについて、彼にとってはそれだけを責めても、法的な責任をとれば、刑務所に入れば、それらが解決される、再犯はしないとは思わないのだ、僕は。
僕は、僕にできる範囲でしかできないけど、僕なりに、彼と一緒に考えて、もう法を犯さないで生きていける、そんな環境を考えたいのです。彼とそんな時間を過ごしたいのです。
先生もう怒らないで。
なんで先生は怒るんだろう?
先生が決めた「ダメなこと」をしたから?
「ダメなこと」をする時ってそれには理由があって、その「ダメなこと」の理由がわからない、意味が分からない時、その時は丁寧にその理由を教えてほしい。
イライラして、つい「ダメなこと」をしてしまった時、その時はそのイライラを聞いてもらえないかな。
そうなんだ、実は先生にSOSを出したかったんだ、そんなことでもしないとこちらを向いてもらえないと思ったから。
先生怒らないで話を聞いてよ。
「ダメなこと」しかたから、二度としないように怒るって?
それでは怒られるからしない、怖いからしない、成績に響くからしない、そんな理由で「先生が決めた悪いこと」をしなくなるだけではないのかな。それでいいのかな?
怒られるから、こうしなきゃ、ああしなきゃでいいのかな?
だれか「ダメなこと」を」している人いないか監視しあう?先生から気に入られた怒られなくなるから。
なんで学校は楽しく過ごす場でないのかな?
仕事が大事だから?
「どんな趣味持たれたますか」って聞かれたら、「特にないんですよね、仕事ばかりです。」と答えてるね。
「どんな本読んでるか」とか「どんな映画見ているか」なんて話題で話していても、そこには参加しない、聞いているだけ、まぁあんまり読んでないし、観てないからと。
職場では、仕事ばかりしていてはダメだ。それはあなたにとっても、この仕事に携わるものとしてもと、いつも話してます。
人として文化的に豊かになっていく、そういう人生を送って欲しい。
障害がある人たちは、いろんな機会を失っている。
彼らに接するこの仕事に携わる私たちが豊かであってこそ、彼らがそんなとこに行ってみたい、見てみたい、やってみたいとなるんではないか。
ぼくらが、まあカップヌードルでいいかなんて言っていたら、彼らもそれでいいかとなってしまう。
そうじゃない、ぼくらがいろんな夢語ったら、みんなもいろんな夢見るようになるだろう。
人は、こんなことやりたいなって思ったら、気持ちもスッと前向きになる。
誰から言われるのではなくて、自分でそう感じたら、人は変わる。
だから人は誰もそうだか、この仕事についてる人は、映画も見る、美術品にも触れる、本も読む、旅にもでる。
時間を惜しまずそんな人生送って欲しいと思うのです。
特に大事なのは、いっぱい恋愛をして、いっぱい失恋をすること。
どれだけ失恋をしたかは、その人の人生の成熟度を示す一つの指標です。
ではあなたはどうなんですか?
残念ながら私はダメです。
映画のこと聞かれても、好きな映画は寅さんとローマの休日、あまりにもベタだし、
本もそう、言う割には読んでないし読み方も浅い。
みんなの話を聞くこと、そこに自分の経験を重ねて楽しんでいる。
でも若いうちには、そんな経験を積むためにがむしゃらになってもいいのではないかと思うのです。
3月11日に記しておくこと
2万人の方々が命を失い行方不明になった震災、大津波。
被害にあわれた方の救済に当たった方々へ心から敬意を表します。また亡くなった、いまだに行方不明の方々にご冥福をお祈り申し上げます。そして今復旧に向けて引き続きがんばっておられる方へ心から応援をいたします。
そして原発事故。教訓も明らかになってないままの再稼働は許せません。避難している方や命を落とされた方々への冒涜です。
国の責任での復興はあいまいにできません。
私は何もできませんが、私の意思を記しておきます
いのちの選別は許せない
障害のある方たちの生活を支える仕事をしている中で、「大変ですね」「がんばってくださいね」等と障害のある方たちへ声をかけていただく方も多くいらしゃいます。みなさん優しい気持ちからだと思います。優しい地域を造るためにもとてもうれしく感じます。 ただ、人の優しさというのは、人の理性と結んでこそ、みんなに優しくなれると思うのです。もし人の理性と結んでいないと、「大変だから」「頑張らなくてはならないからかわいそう」となり、前の都知事が言ったように「この人たちに人格はあるのか」となり、「生まれてこないほうがよかったのではないか」となるのではないでしょうか。 障害者に対する社会防衛的な排除の考えもあります。あわせてこのような「生まれてきたらかわいそう」という考えも出てくるのです。 出生前診断にまさにこのような危惧を感じます。ダウン症や難病を持っていても幸せに生きていくことができる社会を作ることこそ大事なことではないかと思います。 二度と優生保護法による断種や避妊手術などの悲劇が起こらないことを願ってやみません。
忘れられないコロナの思い出
「緊急事態宣言」
学校を一斉に休校にさせた、しかも3日4日で。
なんだこれはと思ったし、みんな大変な目に遭っている。
だけどわかりましたね!安倍さん、これをやってみたかったんだ。
自分の一言で、日本が動かせるってこと。
下じもの者に何がわかるか!俺がやるんだと。
お前たちは、身の丈にあったことをやっていればいい、俺がなんとかしてやるから、黙っていろと。
緊急事態宣言、したいんだろうな!そして自分がヒーローになりたいんだろうな。
なんか中国みたいな国になってきたなあ。安倍さん、中国みたいな国が理想なのかな。権力の集中と、強権的な政治。
うれしいJR労働者
朝、大野川の河川敷で気持ちを整えて就労施設に向かう障害を持つ友人がいます。
そこに架かる鉄橋を走る特急列車を見て、よし今日も頑張ろうって。
そんなこんなで1年たちました。
いつも同じ時間だから当たり前ですが同じ列車が来ます。もちろん毎日同じ運転士さんではないでしょうが。
少し前からですが、彼に付き合っているうちのスタッフから「あの特急の運転士さん、彼に挨拶の警笛ならしてくれている、手もふってくれていると」。
ぼくは、そんな美しい話があるわけない、と一蹴しましたが、他のスタッフが行ってもそういうことがあったとのこと、ビックリやら嬉しいやら。
JRは駅の無人化をすすめていて困ったもんだと思っていましたが、やっぱり現場で働く鉄道マンはとっても優しい労働者だ!僕らと同じ労働者だ!
JRの駅の無人化には反対です。
JRの駅無人化に反対する訴訟に注目しています。
原告の方々の「移動の自由が奪われる」「私たちは差別のない、健康な人と同じように生きられる社会を」など、全くまっとうな意見だと思います。一方JR九州側は争う姿勢は示すものの理由はまだ明らかにしていません。注目したいと思います。
この問題は車いす利用者だけの問題ではありません。私の周りには知的障害児、発達障害児などの子どもも多くいます。将来の自立についてよく話題になります。私は自立とは「なんでも自分でできること」だとは思いません。「周りの方々に困っていること、できないことをお願いする力」「多くの人に協力してもらい自分のしたいことを実現する力」そんな力をつけることが自立への道だと考えています。
駅の無人化は、まさにこのことの逆の道です。だれにも頼れない、自分でがんばれ、これでは障害などハンディキャップを抱えた方々の人生は大きく制限されます。
私たちの国の総理大臣は「まずは自助」と言っている方です。そんな中、真っ向から障害のある人たちへの「合理的配慮」を求める訴訟を提起されたみなさんを心から応援します。
コロナ架の中の大切なこと
コロナ架の中、何より政治に求められるのは、感染者やその恐れのある人たちが安心して検査を受け、安心して治療を受けられるようにすることです。
ところが今政府が検討しているのは感染者、恐れのある方々に刑罰を与えて強制的に入院させることです。それでは感染を隠し、検査を受けない方が増え、ますます感染を広げてしまいます。
私たちはつい最近、痛いほど感染症対策でしてはならないことを学びました。ハンセン病です。感染の恐れの根拠もなく、警察も使い隔離し感染者の人生を奪いました。時の総理は謝罪したじゃないですか。感染者の家族も許しがたい差別を受けたと司法も断罪したではないですか。またエイズの恐怖を煽ってパニックを起こし、感染者にひどい差別を起こしました。学校に行けない子も生みました。この時の総理も謝罪したではないですか。
私たちは学ばなければなりません。人権を制限して、感染症は収まりません。被害者を犯罪者にしてはなりません。みんなが安心できる社会をつくりましょう。
うちスタッフは誇りです
小さな事業所の経営に携わり15年、こんなうれしいことはありませんでした。
「パートさんの募集」で面接をさせていただきました。その方の履歴書は「住所」「名前」だけ、「学歴」は中卒、「職歴」はなし、ほとんど真っ白の履歴書でした。
35歳の女性、15歳の時に生活が荒れ、併せて統合失調症を発症。以来20年近く入退院の繰り返し。それでも地域で生きていきたい、仕事をしながら社会に役立って生きていきたい、そんな願いを持ち続けていました。
勇気をもって面接に。「私みたいなもの、働けますか?」と。お話を聞きながら、長い間病気と付き合ってきたこれまでの壮絶な生き様、私には尊敬しかありませんでした。本当によくがんばってこられた、と。即刻「一緒に働いてください」とお願いしました。
あそこなら働かせてもらえるかもと、紹介を受けてこられたそうです。そういわれる私たちの職場も誇りです。
ほとんど白紙の経歴書、未来ばかりです、これからしっかり埋まっていきます。